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2024/05
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 ベランダを開けて、コンスタンティアが歌っている。秋風に揺れるカーテンと、緑の髪と、ゆらめく歌声があたしだけには聴こえている。
「じゃあ、棄てるの?」
「じゃあ棄てるの……」
 続けてみるとにっと笑って振り返った。あたしは今日もベッドの上だ。ぐしゃぐしゃになった教科書やノートはゴミ箱に捨ててしまった。あれだけの悪意を向けられたのってどれだけぶりだろう。あたしは居なかったことになることで、これまでなんとか生きてきたのに。
 家から出なくなって二日経った。携帯からは学校から電話がかかっているみたいだけど、履歴を消してなかったことにする。
 コンスタンティアは、たとえば、学校に行ったらどう? とは言わない。コンスタンティアが人間ならば、学校に行かないと成績が、進学が、就職がとしつこく言うだろう。駄目人間の刻印を、背中に熱く押し付けて、がなりたてて、あたしが泣いても怒っても外に出すのだろう。
 でも、幸いなことに、コンスタンティアは人間ではない。人間らしくあっても、人間ではない。学ぶことのすばらしさ、重大さは理解しているだろうし、だからこそ本を読んだりするのだ。でも、強制はしない。いや、むしろ、喜んでいるかもしれない。あたしと過ごす時間が増えるから。
「アイちゃん、今日はね、夜の映画が面白そうよ」
「じゃあ、おやつとか、買ってこようかな……」
 逃避、逃避、現実からの逃避。もっとつらい現実からは逃げられないから、少しくらい逃げたっていいと思うの。ベランダから戻ってきて、鼻歌を歌いながら飴を口に放り込む。あたしはまだ、人の温度の羽布団から出られないままだ。
 メルヴィルの痛々しい姿を嫌でも思い出す。手足のない体と、動いていない臓器に、透けて見える骨。水の色に浮かぶのは泡と呪い。今すぐにでも消えていきそうな、うたかたびと。
「皆幸せになれる未来ってないのかなあ……?」
 アキラ、あたし、シヅル。誰かが犠牲になる。不幸になる。あたしに、とメルヴィルは言っていたし、あたしがやらなくてはならないと決意をしていたものの、わずかな平和の時間に抱いた夢だって逃したくない、まだ十六歳。人間として過ごせたのは二年くらいしかないのに。
 その、天井に吐いた希望を打ち砕くのは、コンスタンティアしかいない。ベッドから動けないあたしに、そっと近づいて手を頬にそえる。
「アイちゃん。それはね、できないのよ。みんながみんな幸せになったら、またそれで差ができて、不幸せな人が出てきてしまうの。幸せになる権利はどんな悪人にだってあるわ、生きているかぎりは。でも、誰かの幸せの裏では、絶対誰かが不幸になっているのよ」
 クロゼットを開けて、あたしのお気に入りの赤いブラウスを取り出したコンスタンティア。
「このブラウスだって、本当はどうなのかわからないけれど、これが作られて、アイちゃんの手に渡るまでに、たくさんの人が苦労したものよ。もしかしたら、そうね、幸せな時間を削られてできているかもしれないわ。ひとは、他人の幸せを奪って生きてるのよ」
「あたしも?」
「ええ」
 そう、コンスタンティアは断言する。あたしはこれまで、生きてきた中で、搾取されるほうだと思っていた。必要なことを知らない罪を利用されて、わからないままに、持っていた数少ないものを全て奪われてきたと思っていた。
「毎日食べるごはんだって、そうよ、ハンバーグだって、肉はもちろん、それを育てて、屠殺して、加工して、スーパーに並んで、やっとアイちゃんの手に来るの。その間にたくさんの幸せが消えているはずだわ」
「よく知ってんだね」
「たくさん本を読んだわ。テレビも、映画も見たの。あの人も、たくさん本を読ませてくれたわ。アイちゃんもそうね。うれしいわ、私は人が好きだもの」
 幸せを奪い合って生きているわれわれが醜いのは当然だろう。恵まれたものを僻んで、恵まれないものをあざ笑っている。手足のない芋虫のあたしでさえ、幸せを奪って生きていたとしても、今の気分は、首にギロチンを当てられてるみたいだ。
「どうしてさ、そんなに人が好きなんだ。醜いところ、たくさん見てきたろ」
「そうね。許せない人だっているわ。私が人を好きになったのはね、きれいなものを作るからよ。絵も、文も、像や、お洋服、家具だって人が作るでしょう。悪魔は、そんなこと、しないもの。殺して、勝って、負けて、食べて、食べられるの。それで終わりだから、このせかいに憧れる悪魔だって多いのよ。私たちには理性があって、言葉をかわせるのに、暮らしは原始の動物と何にも変わりがないわ……」
 目をつむって、首を上げる。故郷のことを考えているのか、それとも。そのコンスタンティアの思考を阻止するように、インターホンが鳴った。あたしはぴくりとして、クラスメイトだと思うと恐怖が背中を舐めていくのがわかる。昔はこれよりこわい目にあってたくせに、あたしったら、幸せに浸りすぎたかな。
 コンスタンティアがするすると玄関先まで見に行き、あたしに声をかけかけた。
「アイちゃん、アキラくんだわ。どうする?」
「アキラ? なんで、また……。開けるよ」
 体に体温が戻っていくのがわかる。いそいで飛び上がって、最低限髪を整えて、よろよろと扉を開けると、スーパーの袋を大量に持った制服姿のアキラが居た。
「あ、ああ。いきなり、すまん。風邪でもひいたかと心配で、一人だから買い出しにも行けんだろうと……」
「風邪じゃないよ、ごめん。でも、ありがとう」
「とっといてくれるか」
「もちろん」
 どうぞ、と手招きしてアキラを部屋の中に入れた。アキラの買ってきたものはおかゆや、ゼリーやアイス、スポーツドリンクなどなど、病気なら食べやすいものばかり。丁度食欲もなかったしありがたくいただこう。
 冷蔵庫まで運ぶのを手伝ってくれる。
「病気じゃないのなら、まあ。よかった。行き掛けにシヅルと話をしたんだがね。あれにやらせるにはあまりにかわいそうだ。この世の地獄を見てきたような……、そんな目をしてた。おまえもそうだったが……」
「シヅル、来たばかりだからね」
「ああ。ああ、そうか。それとと弁当箱と、学校のプリント」
 畳まれた包みと、ピンクの弁当箱に、ファイルに入った課題プリントだ。それを見て、ほっとして、椅子にぐったり座った。クラスメイトの誰かが届けにきたりしたらどうしようかと思ったから。
「うん、うん、ありがと。ごめん、あたし、アキラに答えられないのに、こんなことさせて」
「いや、オレが面倒見たいだけだから、迷惑なら言ってくれ、別に点数稼ぎでしてるわけじゃないし」
「ううん、そんなことない。助かる」
「なら、いいんだ」
 アキラもぐったり、あたしの向かいに座った。
「ちょっとだけ、座らせてくれな」
「どうぞ、お茶いれる?」
「いい、いい、すぐ行くし」
「うん、そ」
 蛍光灯を薄めで見ると、小さな粒が見える。小さな光の粒が。あたしは、少しの自由の間に夢を見てしまったんだな。こうして、人と触れ合ったりしなければ、何も悩まずに池に沈めていけたし、お菓子の夢だって見なくて済んだのに。無駄に苦しむことなんてなかったのに。
 おじいちゃんはどんな思いで、この地で、メルヴィルと共に暮らしてきたのだろう。おじいちゃんにだって、夢があったろうに。
「学校、行きたくないんだ」
 アキラに、吐き出す。
「ん、別に、いいんじゃないか。行かなくても、オレらの未来は決まってるし。未来が不安だから行くんだよ、皆」
 あったことは言わないつもりでいる。アキラの好意は受け取るけれど、アキラになんとかしてもらったら、利用だけする悪い女だもの。あたしは決して、アキラには、何もできない。してあげられないから。
「アキラは行くんだ」
「ま。行かないと親がうるさいし、世間的にもまずいからな」
「諦めてるの?」
「反発してた。でも、ま、そうだな、反発してもオレの力じゃなんにもならないし、兄貴も死んだ今じゃオレの身体は貴重なものだから。諦めたっつか、大人になったってか。夢を見ずに現実を直視することを、大人になることだとオレは思ってて、オレは少し大人になった」
 それだったら、あたしは、昔の方が大人だったし、大人を押し付けられていたな。夢を見ることを許されない。一日を生き残れるよう、必死に大人の顔を窺っている。誰に優しくされるわけでもなかった。小さいあたしは孤独で、細い手足で、何も見えない砂漠を裸足で歩いてるみたいだった。
 それがいいことか悪いことかなのかは、世間的には悪いのだ。まだあたしは夢を追いかけていい年齢で、大人になるのは早すぎるはずだもの。やっと見つけた未来へ生きるための希望に縋り付いてるのは、本当に子供みたいで、嫌になるくらい。思った時は諦めるつもりで話していたはずなのに、逃避している。
 この世に生きるすべてのために、あたしはすべての不幸を背負わなければならない。その殆どは、あたしやアキラが不幸を背負って生きていることを知らない。生きるという幸せを無条件に勝ち取っているのを、あたしたちのおかげだということを知らない。
 知られたところで、ちやほやされたり、神格化されるのも嫌だけれど。あたしは嫌いな人間たちのために、この人生を全て投げ出さないといけないと思うと怒りが芽生えてくるのは、決して間違っているわけではないはずだ。ぐしゃぐしゃの教科書を脳裏に浮かべて。
「あたしの昔のこと知ってるんでしょう」
「まあ、さらっとは」
 アキラは、目を背けるようにする。他人だって直視したくない過去。
「そんな人たちも、あたしは、守らないといけないのかなあって」
「選べない。こいつはダメとか、こいつはいいとか。オレたちは神じゃない。やるか、やらないか、それしかない」
「許さないといけない?」
「そんなことはない。正義。というか、正しいことをするまでだ。そいつらのことを思ってするわけではない、自分の好きな人のことを想って、その人たちに生きて欲しいと願っていればいいと思う。ついでさ。そりゃあ、忘れられないことだろうとは、思うが」
 はあ、と、大きく息を吐いた。お菓子なんて、家で焼けるじゃない。キッチンだって、きっとおじいちゃんに頼めば、おじいちゃんの家を工事してもらえるかもしれない。
 あたしは嫌い、諦めてるの、甘いチョコレートの味を想像している。甘い夢が見たいな、今夜くらい。
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