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2024/05
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 月曜日、早起きして二人ぶんのお弁当を持って家を出て、お昼を迎えたとき、教室はざわついていた。なんたって、一年のクラスにあの『灰淵先輩』がやってきて、嫌われ者のあたしと話をしてるんだもの。
 ひそひそ聞こえるあたしの悪口。どうしてあの暗い子が、灰淵先輩に用事があるの? どうして仲よさげに話をしているの?
 心が冷えていくようだった。あたしは鞄を持って廊下に逃げ出すようにすると、アキラは教室の全員をぎろりと睨みつけ、あたしを追う。
「悪かったな、まさか、ああなるとは」
「ううん。いいよ。いつもあんな感じだし」
「しかし、ひでえ。あいつら、オレたちが居なかったらここで生きていけやしないんだぜ。それを知られたら知られたらで、面倒だがな」
 人に嫌われるあたし。人に好かれるアキラ。これって必然なのかな、そういう、血なんだろうか……。
「なんかあったら、言えよ。オレがぶちのめしてやるからな。橘の悲しそうな顔を見ていると、オレも悲しい。コンスタンティアはうっかり殺しちまいそうだが、オレは人間だからな……」
 そうやって、赤くなる片目を隠す横顔。アキラの生きられる時間は、もう半分も残っていない。あと、十二年ほど。そうわかっているって、どれほど恐ろしいだろう。どれほど悲しいだろう。
 あたしがいじめられるのなんて、学校を出ればおしまいなのに。
「外行くか。飲みもん、買ってやろう」
「……ありがと」
 学校の自販機でお茶を買ってもらって、ちょっと雑草が鬱陶しいけど、人に見つからないように学校の裏側でお弁当を開けた。ピンク色の蓋を開けると、アキラはわあっと声を上げる。
「うまそうだ」
「実際、まぁまぁいけるよ」
 コンスタンティアは出てこない。彼女なりに察しているんだ、これは恋人ごっこをしてるってこと。アキラの気持ちを叶えてあげたい。これはあたしの気持ち。本当の答えにはたどりつけないけど、せめて。
 ハンバーグを口に入れ、飲み込む、喉仏のない喉。
「ああ、うまい。こんなうまいもの、初めて食ったなあ……」
 手を震わせて、泣き出すアキラに寄り添って、背中をさする。その背中は大きい。とても。色んなものを背負っている背中。あたしとは違うものだけど、押しつぶされそうなんだってすぐにわかる。
「ごめんね」
 あたしはそうすることしかできない。アキラを救えない。
 まるで男の子みたいに、お弁当を大きな口で食べていって、うまいうまいと言いながら完食するのを見届けた。あたしは少しずつ、毎日食べるものだから少しずつ食べる。
「ああ、美味かった。ありがとうな。また食いたい……」
「何度でも作るよ。料理くらいで、よろこんでもらえるなら」
 アキラは、あたしに笑いかけた。まだ、涙が頬を濡らしている。
「あたしの前でくらい、弱くなっていいよ」
 そう言い放つと、アキラは俯いたあと、空を見る。青い空。雲ひとつない、少し肌寒いけど、日の光の下ならあたたかい。
「……兄貴のことを、考えてた。定期的にオレは病院に検査に行かなきゃならないんだが、オレの骨、足から骨盤のあたりまで黒いらしいんだ」
 命を喰い殺す、悪魔の黒。最後には全身が黒くなって、燃え尽きるように死ぬらしい。骨盤のあたり、ってことは、やっぱりあと半分ほどしか、アキラには時間が残されていないんだ。
「それで、さ、親父が後継をつくるための男を選べって、ファイリングした資料を渡すんだが、どれもこれも、男、なんだ。オレはホモじゃあない……。卒業したらすぐにでも、だとよ」
 アキラが必死に勉強していることを知っている。部屋に積まれたノートや参考書、それから買い物の夜食。アキラは学校に行きたいのに、大きなお腹で大学に通うのはさぞかし、目立つだろうし、男の格好、男らしく振る舞うこともできなくなる。
「……橘と仲良くなれてよかった。こんなに隣で落ち着ける女、いやしないよ。他の女はきゃあきゃあとうるさくてたまらない。可愛らしいんだけどな。でも、橘が一番可愛らしい……」
「あたし、男の人が嫌いなの。すぐ殴ったり大きな声を出すから。あとね、女の人も嫌いなの。すぐ嘘をつくし、悪口ばかり言うから」
「オレは?」
「あたしは、アキラをただの人、と、思ってないよ」
 そう答えると、口をにいっと歪ませた。
「そうか。そりゃ、よかった」
 秋の風がさらさら雑草とあたしたちの髪を流していく。風は冷たくても、アキラと寄り添っているとあたたかい。そっと体を預けてみると、アキラはそれを受け入れる。いや、受け入れたがっていた。お腹がいっぱいで、眠くなるもの。うとうとしていると、目の前に手が現れた。アキラの、大きな左手だ。人差し指には、黒い石のはまった指輪がはめてある。
「……これ、この黒い石、兄貴なんだ。遺骨をな、こうして、後継とか家族に、指輪に加工して持っておくんだ。戦って死んだことを、誇りに、いつまでも覚えておくために。そういう風に、何代か前に決めたんだ。もし、さ、オレが死んだら、オレの指輪をはめてくれないか……」
 自分の骨で作られた指輪を、はめてくれないか、なんて。結婚指輪なんかよりすごく、すごく重い。黒ずんで、到底綺麗だとは言えない指輪だ。骨、なんだものな。
 あたしは悩まない。考えない。ただ、頷いた。アキラの指輪を持っていたい。指輪は綺麗でなくても、きっとアキラの兄のヤマトは素晴らしいひとだったのだろう。だからあたしも、アキラの指輪を持っていたい。きっと、アキラはあたしより先に死んでしまうから。手を見るたびに、思い出していたい。あたしが今、花を見てアザミを思い出すみたいに。
「……どこの大学行くの?」
「候補はま、定めてるけど、心理学を勉強したいと思ってる。でも。やめようかと、思ってな。子育てしながら大学なんて、大変だろ。だからさ……」
 卒業したら、あと八年。それまでは勉強と出産後と子育て、橘家の監視。四年間、それを全てやらなければならない。妊婦であったり、小さな子供を抱えて。
「できると思ってた。でも、無理だってファイルを見て思ったよ。子供を産むのは仕方ない。決まりだからな。でも、大きな腹抱えて外に出るなんて、オレには恥ずかしくてできやしない。それに、子供を持ったからには、オレが死ぬまではせめて、オレの手で面倒を見てやりたいからな」
 と、あたしを見て。アキラは、あたしやシヅルの過去を知っているから。親に愛されなかった子供がどうなってしまうかを知っているから。ただでさえ辛くて悲しい現実を突きつけられることが決まっている子供だから、目一杯愛してやりたい。アキラは優しい。とても、すごく。
「いいな。アキラの子になりたい」
「はは……、それも、いいかもしれないな」
 そっと、子供をあやすみたいにあたしの頭に触れる。あたしは一瞬ぴくりと眉をひそませたけれど、すぐに安心して、目を瞑って、秋風の冷たさとアキラの暖かさでバランスのとれた温度の中で目を瞑る。
 ゆらゆら、ここでいつまでも眠っていたい。まだおとぎ話の世界の中かもしれない。うそのお話で、目が覚めたら、両親に囲まれて幸せなあたしがいるかもしれないという、ありもしない希望を、その暖かさは伝えてくるんだ。
「……ありがとな、橘。情けないよ、オレ。弱みをどこにも吐けないんだ。家では家族は子供の話ばかりで、友達にはこんな話できるわけもないし。橘だけさ、こうやってオレにしてくれるのは」
 ぱち、と目を開けた。チャイムが鳴ったからだ。
「いいよ。気にしないで。あたしにできることで、アキラが救われるなら。あたしは嬉しいし」
「そうか。さ、そろそろ、戻るか……。ごちそうさま、洗って返すから、また、よかったら作ってくれな」
「うん。わかった」
 二人で立ち上がって、自然に手を繋いだ。アキラの人差し指にはまった指輪の感触を、強く認識する。人が死んだあと、どうなるのかわからないけれど、きっとどこかで、アキラのお兄さんはアキラのことを見守ってくれているはずだ。そう思った。肩に、手を置かれる感触がしたからだ。
 アキラをよろしく、って、もしかしたら幻聴なのかもしれないけれど、でも確かに空に響き渡る声がした。アキラには、聞こえていないようだった。
 廊下で別れて教室に戻ると、くすくす笑い声がする。嫌な声、嫌な女の声が耳を蹂躙する。あたしの机の上に、ボロボロの教科書やノートが広がっている。マジックペンで落書きされている。
 先生がやってきたのに、あたしは立ち尽くしていた。あたしはいないと思っていたけど、アキラが来たから、あたしは居るようになったんだ。胸の奥がどくどく波打って、背中が冷えていく、冷えた視線を感じている。は、は、は、なるほど、ね。
「橘さん?」
 先生が声をかけるけど、あたしは答えない。ボロボロのノートと教科書を鞄に詰め込んで、教室を飛び出した。
「橘さん!」
 走って、走って、聞こえないふりする。見えないふりする。この世は嫌い。この、人間がひしめきあうこの星が嫌い。
 靴を履いて、そのまま、いつものサボり場所、深泥池にやってきた。木陰に座り込むと、コンスタンティアが現れる。
「ひどいわ……。どうしてあんなことをするのかしら」
「決まってるだろ。アキラと話をしたから」
「アイちゃん、私……」
 遮った。何を言おうとしているかわかっているから。
「殺すなよ」
 コンスタンティアはあたしの隣に腰を下ろす。
「……わかったわ。でも、私、すっごく許せないの。怒っているわ。どうして、あんなことをして笑っていられるのか、わからないもの。人を怖がらせたり、泣かせたり、悲しませることって、そんなに人にとって、嬉しいものなのかしら」
「まあ、大概の人間は、そうだろ」
「私は人間を理解したと、思ってたの。あの人も、アイちゃんも、シヅルくんもすごくいい子だから。でも、あんなに酷い人間、理解できないわ。悪魔なんかより、ずっとずっとみにくいものよ。あんなものの存在を、私、認めたくないわ」
「あたしもだよ、ほんと……」
 破れた教科書をテープではりつけてなおそうとも思わない。寝転んで、今日のことはなかったことにする。あたしを、あたしじゃなくする。上から見上げたあたしは小さくて、孤独に見えて、弱そうで、悲しい姿をしている。
 このままずっと上に行って、酸素のない世界に行ければいいのに。月にだって、今のあたしなら行けるのに。
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