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2024/05
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「すまないな、橘。じいさんから、頼まれてな。うちから話をしてくれと。二人とも、じいさんを信じられなくなったらどうなるかわからないだろ。ただ、灰淵から話せるのはここまでだ」
たしかに、そうだ。おじいちゃんから恐ろしい話を、この話をされてあたしがおじいちゃんを嫌うわけがない。だって優しくて、面倒を見てもらっているんだもの。でも、おじいちゃんが灰淵に頼んだ理由だってわかる。おじいちゃんの娘、あたしたちのお母さんは、しきたりが嫌でこの地を飛び出したと聞いたから。
いまのおじいちゃんの立場を継ぐってことは、すごく、すごく、嫌なことなのか、嫌なことをしなければならないのかもしれない。
この、田舎の深泥池からほとんど出られないし、灰淵に常に監視されている。
「わかった、大丈夫」
そう答えると、アキラはまた押入れを開けて、布に包まれた何かを座卓の上に置いた。包みを解くと、それは、短刀だった。銀色にきらめく短刀。
「持っておいてくれ。護身用に。と、いうか、オレの気持ちとして」
「気持ち?」
「ああ、これはな、オレが小さい頃に使っていたんだ。小さい頃、オレと兄貴は腹をこれで切っていた。死により近付くために。オレたちは死の淵に立って、死を見るたびに悪の力を得る。オレには、もう、必要ないし……。橘アイ、お前に、持っていてほしい」
腹を切ることを強いられる家系。人は死の淵に立つと、普段の三割ほどしか使っていない脳みそがリミッターをはずし、強い力を出せるようになると聞いたことがある。だから『灰淵』……。
あたしは短刀を手に取った。子供でも、握れる重さ。軽く、そして軽く命を奪えるもの。
「受け取る。ずっと持ってる。手放さない」
その刀を。アキラの気持ちを。
「警察に話は通してあるから、大丈夫だ。これまで変にきつくあたって、すまなかったな。仲良くすれば、いざって時にお前や、その悪魔を奪えるか心配だった。そうしなければならないことを、恐れていたんだ。ただ、ふふ、兄貴の亡骸を、この写真を見て思い出してな。オレは使命を果たす。そのためにこの世に生を受けたと」
「悪魔を殺したことはあるの?」
刀を包みなおして、あたしのそばに置いた。コンスタンティアは、雰囲気を察したのか、ずっと黙って、アキラの話を聞いている。
「何度も。と、いうか、そこら中にいるんだぜ。例えば、特別な才能を持った人間ってのがいるだろ。絵がうまかったり、走るのが早い、歌がうまい……。そういうのには大概悪魔が憑いている」
これまで黙っていたコンスタンティアは、はっと声を上げた。
「そうだわ。悪魔には知識があるの。それを、無意識に人間に、才能として与えるのよ。私がアイちゃんの前に憑いていたのは、芸術家なの。すごく、有名になったわ」
「それって、あたしも絵を描けばうまいのかな?」
コンスタンティアに問うと、そうね、とコンスタンティアは腕を組んで少し考える。そしてまた、ああっと思い出したらしく、声を上げた。
「アイちゃん、すごくね、お料理がうまいわ。ツォハルも言っていたでしょ? だからね、私もびっくりしていたの」
「へえ。食ってみたいな。そんなにうまいのか、御使いがうまいって言うほどなんて、相当じゃないか?」
知らなかった。あたしって、そんなに料理がうまいんだ。自分で作って自分で食べるばかりで、思い出す小さな頃のことは何も言われなかったもの。もしまずければ、殴られていたのかもしれない。
あたしがどんどん、人になっていく。ずっと前のあたしは、こんなこと考えたことがなかった。だって、あたしは普通の人に嫌われるんだもの。でも、コンスタンティアや、アキラや、アザミ、それにシヅルと、ツォハル。みんな、普通じゃなかった。普通じゃない人なら、信じて、遊んで、友達になれる。
「じゃあ、その、月曜、お弁当作る。から。二人分……」
「いいのか?」
アキラは身を乗り出して、嬉しそうだ。
「いいよ。料理、好きだし。食べたいなら、作る」
「あ、ああ。そうか! ありがとう、嬉しいな。てっきり、橘には嫌われていると思っていたから。酷い言い方をしていたからな」
「確かに、やな奴って思ってた。でも、今日の話聞いて、全部わかったから。それくらいなら、あたしは喜ばせてあげたいって思わせる力のある話だったから」
アキラはあたしから視線をそらして、口元を緩ませる。最初、体育倉庫で話をした時、別れ際の目を思い出した。アキラは最初から、あたしのことを、橘家と灰淵家の関係ではなく、ちがう目であたしを見守っていてくれていたんだ。
「た、楽しみにしている。月曜日の昼、橘の教室まで行くよ」
「うん、わかった」
シヅルが学校に来るのは、金曜日からだ。シヅルが来る時は、シヅルのぶんも作ってあげよう。あたしができることで、誰かが喜んでくれるなら。
「じゃあ、まあ、灰淵から話せることはもう、ない。送っていく」
座布団から立ち上がるアキラと、それどころじゃなくて残された羊羹。
「アキラから話せることはある?」
はっとして、また目線を逸らして、おずおずと座布団に戻った。
「本当に、今まで、すまなかったな。できれば、この先どうなるかわからないが、友人として付き合っていければいいと、思っている。過去にも灰淵と橘が親友になっているという記録があってだな、やっぱり惹かれやすいらしい、んだ」
「ふうん。そう。友達になりたいの? ほんとに?」
いたずらっぽく笑ってみせる。アキラが、あたしをどんな目で見ていたか、隠そうとはしていたけれど、場面場面、思い出せばはっとさせられることがあった。
「言わせるか?」
「別に脅してるわけじゃ、ないけど、たぶん、いまを逃したらチャンスってなかなかないよ。それにいつだって答えは変わらないよ。わかるでしょ?」
少しの間。男と女の呼吸だけが聞こえている。目の前の男の肺を制圧している死の匂いは、きっと血管に乗って全身を回っているはずなのだから。
「……体育倉庫で、明るいところで、近くで、見たとき、なんて可愛らしい女の子なんだと思った。横に座るといい匂いがして、汗と血の臭いがする自分とは違うんだと思った。オレは……」
短い黒髪、高い背、伸びた長い手足には女とは思えないほど筋肉質で、頼もしい。ハスキーな声、つり上がってぱっちりとした黒い目が、たまに赤く輝くのを知っている。
「うん。そうなんだ。あたし、可愛い?」
「すごく、その。こんな事をいきなり言われて困るのは理解しているが」
「あたしは覚悟してるよ」
あたしの掌で、そんな存在が震えているようだ。それを見ると、なんだか可愛らしく見えてくる。こんなにしっかりした男の子なのに、と。
「好きだった。橘、お前のことが」
「そう。ありがとうね」
手を伸ばして、アキラの大きな手に絡みつける。握手。アキラはまっすぐあたしを見て、でも涙目で、大きく頷いた。好きだったと表現し、言葉にしたアキラは、きちんとあたしのことを理解してくれている。それはアキラがあたしを本当に、今、好きだということ。
「あたしのクラス知ってるよね」
「もちろん」
「ごめんね。あたしは。まだ、子供だから。でも、友達ならなれる、アキラがあたしの事を本当に、考えてくれてることがわかるから」
それが愛情なら、あたしの肺はアキラの吐いた息で満たされているのだろう。そして全身を巡っていくんだ、それからあたしは愛を知っていく。たくさんの人ではない人から。
「オレはとにかく、拒否されなかったことが嬉しい。拒否されて、罵倒されて、出て行かれると思っていたから。でも、その、オレの気持ちや気を使ったことを理解してくれたなら、お前は子供なんかじゃない。まだオレだって大人じゃないけど。子供と大人の、その間に、正しい年齢にいられていると思う。なんというか、周りが幼すぎ、る、んだ」
「それってあたしたちが大人すぎるのかな?」
「そうかもしれない。正しい人生、なんて。言えばいいのかわからないけれど、オレたちは正しく生きられていないから、正しく生きてきた周りの奴らと違ってくるのは仕方がないと思う」
あたしも死を見たことがある。脳みそがぐらぐら揺れて、ぼろぼろでケロイドまみれの背中をフローリングに押し付けていた。あたしの顔を覗き込む緑の女。部屋には血が飛び散っている。
アキラも死をみたことがある。兄弟で、短刀で腹を切り合う。それを繰り返して、定められた使命をこなすために。
「今更、正しい人生をなんてできやしないけど、生きてる間、正しい人生の存在を理解した瞬間、できるだけそこに寄っていきたかったんだ。そして周りがとたんに憎く見える。だから、ひとりぼっちになる」
「すごくわかるよ。なんであたしだけが、こんなに惨めで、身を隠すように、おどおどして生きていかなきゃいけないんだって。あたしは望まれて産まれてきたはずでしょ? アキラは望まれて産まれてきたけれど、その望まれ方が歪んでいたんだね」
皆の犠牲になる、そして笑って生きている人々が憎い。親が嫌いなんだ、最悪、あのババアったらテスト悪かったからお小遣い減らすって! なんて。そんな話だって羨ましい。母親をババアと罵倒できる幸せ、お小遣いを貰える幸せすらあたしにはなかったのに。
ふらつく足で、重い足で、公園のブランコにたどり着いて日が落ちるまで影を見ているだけの放課後。思考が止まるんだ。うちに帰ったら今日は何が起きるんだろう。ごはんにありつけて、おとなしく布団に潜り込めたならそれが一番いいけれど。
「その間、正しい人生を送っている奴らは遊んで、勉強して、幸せのための足場を固めていくんだな。オレたちは片足でぐらぐらと細い橋に立ってるみたいだ……」
まだ手は離していない。アキラが離さない。あたしも、それなら離さない。じんわりとした手汗がお互いの手の中で混じっていく。
それからそのまま立ち上がる。
「歩いて、送って行こう。近いし、わざわざ車を出すものでもない」
「そうだね、ありがと」
あたしは一旦手を離して、短刀の包みを鞄にしまった。あたしの刃を、アキラの気持ちを、あたしはずっと持っておく。アザミの命、アキラの刃を。力強い意思とあたしへの思いやりを。あたしは折れない、あたしはたくさんの愛を受け取っていることを知ったから。それを抱えたまま、倒れたくないから。倒れそうになったら、愛してくれる人が支えてくれることがわかるから。それが愛で、あたしだから。
また、手を絡ませて、アキラの部屋を出て長い廊下を歩く。さっきの妙齢の女性、お手伝いさんがびっくりしながらも、おじぎをした。
「アキラ坊っちゃま、行ってらっしゃいませ」
「ああ。すぐ戻る。部屋の片付けはオレがやるからしなくていいぜ」
「かしこまりました」
あたしもアキラも、その女性に笑いかけてみる。あたしはからかうみたいにして。どう思ったかな、なんて想像しながら。
男と女として見えたなら、アキラの願いを叶えられたなら。
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