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2024/05
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 あたしとシヅルはあこがれのおもちゃ屋さんに来ていた。大きな建物、大きなフロア。これが全部おもちゃなんて、想像するだけでにやけてくるくらい。あたしたちは、おもちゃなんて買ってもらえなかったし、おもちゃ屋さんに連れていかれることなんてなかったもの。
「なんか、緊張するなあ」
 自動ドアの前。扉は開いている。シヅルは黙って、そっと足を踏み出した。その横を、おもちゃ屋さんの袋を持った親子が駆け抜けていく。あたしはシヅルと顔を見合わせて、なんだか、泣きたい気持ちになった。その子、男の子は今テレビでやっているはずの仮面ライダーの服を着て、お母さんはとても綺麗な身だしなみをしている。駐車場を手を繋いで歩いていった。
「アイさん。いいね、ああいうの。でも、僕、自分と比べて悲しくなっちゃった」
 頷いた。あたしだって、シヅルだって、お母さんの手を握っておもちゃ屋さんに行きたかったもの。寂しい。今の年齢だってお母さんと手を繋ぐことはおかしくないと思うけれど、あたしはお母さんを嫌悪するし、お母さんはあたしを嫌悪する。
 あたしの一歩先にいるシヅルに向かって手をだすと、シヅルはおそるおそるあたしの手を掴み、優しく引っ張る。そしてそのまま、二人で店内に入った。
 土曜日だからか、親子がたくさんいる。笑顔の子ばかり。笑顔の親ばかり。あたしたちの存在は異様だった。シヅルの手はあたたかかった。あたしは高校生になって、はじめておもちゃ屋さんに来たんだ。これまで行こうかと思ったけれど、なんだか恥ずかしくて行かなかった。けれど。
「アイさん、ゲーム、あっちみたい。行こうか」
「うん……!」
 シヅルと手を繋いで、あたしの歩幅にあわせて歩くシヅル。ゲームコーナーは入ってすぐ右にあって、最新のゲーム機とソフトが並んでいる。試遊できるようにモニタが置いてあったり、パンフレットが置いてあったりした。
「何がいいかな。まず、ゲーム機どれにするかだよね。携帯のじゃなくて、おっきい、テレビにつなぐやつ」
「だね。じゃないと二人で遊べないから。僕は、あの、その、やってみたいソフトがあって、それが、こっちなんだ……」
 シヅルが指差したのは、WiiUだ。任天堂のゲーム機、うちにもスーファミがあるっけ。
「じゃ、それ買お。ソフトも。あたしも、それから何か選ぼうかな。やってみたいの、どれ?」
 引き換え券をレジに持っていくと、会計の時に商品が渡されるシステムらしく、値段の書いた券が設置されたポケットにたくさん入っていた。ゲーム機の券をとって、シヅルとそのまま手を離さずにソフトの前に。
「これなんだけど……」
「あ、あたし、このキャラ知ってる。リンクだよね? ゼルダの伝説、うちにある」
「う、ん。そうだよ。任天堂のキャラクターが戦うんだ。二人で遊べるよ」
「これはサムスだね! メトロイドもやった。ね、マルスはいるかな?」
 コンスタンティアが得意なゲームだ。コンスタンティアは冷静に、マップを見て、あたしと一緒に軍を動かす。コンスタンティアはコントローラを握れないけれど、口でならゲームできるから、よくやっていたっけ。その、続編のファイアーエムブレムも、コンスタンティアのおかげでクリアできた。
「マルス、いるよ。欲しくて、いろいろ調べたんだ」
「ほんと? じゃあ、あたしも欲しい! コントローラさっき見たよね、これにはついてないから、二つ買お!」
「うん、そうしよう! アイさんは、欲しいのある?」
「うーん、対戦できるのはとりあえず一つあればいいよね。じゃあ、このかわいいやつがいいかな……」
 手に取ったのはカラフルで、外国のアニメみたいなキャラクターが描かれているパッケージ。
「スプラトゥーン、僕もやってみたかったんだ。交代でやろうよ」
「わかった、じゃあ、これと、スプラトゥーンと、コントローラふたつ」
 手の中のたくさんの引き換え券。コントローラはガラスのケースの中にあって、黒と白があるみたいだった。本体は白しかなかったし、白の券をあたしは何も言わず取ったけれど、シヅルは黒をとる。
「黒、好き?」
 はじめて会った時も黒いパーカーで、今日も黒っぽいカーディガンを着ていた。財布や鞄は紺色。
「え、うん。そうなんだ。それに、色違う方がどっち使うかわかりやすいかなって」
「なるほどね、わかった! じゃあ、とりあえず買い物はこれだけかな?」
「……えっと、あのさ、買い物するわけじゃないんだけど、アイさんが嫌ならいいんだけれど、ぐるっと、お店の中見てみたいな……」
 あたしははっとした。シヅルはなんだか恥ずかしそうに、そう言った。そうだ。あたしだって、そうしたい。着せ替え人形を見てみたい。シヅルの手を強く握った。
「あたしも、そうしたい」
「よかった。じゃあ、ゲームのとこ抜けて、奥から」
「わかった!」

 ゲームコーナーの奥は男の子のおもちゃが並んでいる。仮面ライダーや、レンジャーのおもちゃ、ミニカーや電車のおもちゃ、アニメにでてくる道具を真似たもの。プラモデルのような、組み立てるロボットのおもちゃ。シヅルの目は本当にきらきらしていて、生き生きしていて、なんとなく、ツォハルとコンスタンティアのくすくすという声が聞こえた気がした。
 それから女の子のおもちゃ。着せ替え人形だって種類がたくさんあるし、缶バッチやアクセサリーをつくるもの、食べ物をつくるもの、変身して戦う女の子の格好ができたり、ディズニープリンセスのドレス。どれもかわいらしくて、今のあたしじゃとうてい着れないけれど。
「もっともっと小さい頃に、来たかったね」
 シヅルがつぶやいた。女の子のおもちゃコーナーの、ピンクの可愛らしい雰囲気。
「うん。小さい頃なら、欲しかったかもしれないね」
 不思議だった。憧れていたはずだけど、可愛くて、いいなと思ったけれど、欲しいとは思わなかった。たぶん、おそらく、だけど、あたしたちが遊ぶ年齢じゃないから。レジにもっていくのが恥ずかしいんだ。
 あたしたちはそのままぐるりとフロアを回ってから、レジに並んだ。

「シヅル、財布出して」
「? え、うん」
 携帯を鞄から引っ張り出して、今回のお買い物の計算をする。そしてそのぶんを、シヅルの財布に入れた。
「あ、アイさん?」
「あとで半分半分、ね。おじいちゃんのお金だから変わりゃしないけどさ。シヅルが、お金、払ってね。あたしは隣で嬉しそうにしてるから。いや、してなくても、嬉しいんだけど!」
 シヅルは意味がわかったのか、頷いた。あたしに払わせるのは、シヅルが格好つかない。ずっと手を繋いでるから、周りにどう思われるかは想像がつく。あたしはシヅルに対してそんな気持ちはない、同じ境遇にあった友達と仲良くしたいだけだし、シヅルだってきっとそうだと思う。
 レジが進んで、あたしたちの番になった。あたしが引き換え券を店員に渡して、シヅルが財布を開く。お会計をして、ゲーム機の受け取りは奥で、とレシートを渡された。奥には倉庫があるようで、少しだけガラスの窓で見える、積まれたゲーム機の箱。
 二人でそのまま、また手を繋いで、なぜだか何も言わずに自然にそうした。奥の受け付けにレシートを渡すと、WiiUとコントローラ二つ、ソフトがふたつ。カウンターに並べられた。
「こちらでおまちがいないですか?」
 と、男の店員。あたしたちが頷くと、丈夫そうな袋に入れて、シヅルのほうに手渡す。
「ありがとうございました!」
 店員の、カラッとした元気な声。
「ありがとうございます」
「ありがとう」
 それに思わずあたしたちは、そう返して、そして二人で笑った。大きな袋だけど、シヅルは特に重そうにはしていない。
「はやく帰って、遊びたいな!」
「うん。アイさん、ありがと」
「そんなの。いいんだよ。あたしが感謝したいくらいでね……」
 店を出ると、店の前が異様な雰囲気に包まれていた。血だ。アスファルトに血が滲みている。人が群れている。パトカーと、救急車。さっきまでの飛び跳ねそうにうれしかった心臓が、冷えていく。
 シヅルといっしょに駆け寄ると、人の間からなんとか、それを、見ることができた。ちょうど救急車が来て、運ばれていくところらしい。担架に乗せられていたのは子供で、そう、さっきすれ違った子供だった。仮面ライダーの服の、胸や腹を赤くして、大泣きしながら母親が一緒に乗っていく。警官たちが、小汚い格好をした男を取り押さえていた。血だまりのそばには、包丁が落ちていた。
 ぞわわっと、首の周りを、死の風が、匂いが駆け抜ける。あたしにはわかる。あの子は助からない。
「あ、アイさん。あの子、僕、思ったんだけど……」
「……シヅルも?」
 いわゆる、ニュースでいう、搬送先の病院で死亡、というやつだ。思わずか、ツォハルが姿を現した。
「ごめんよ。ぼくの力が至らなかった。君たちはなんとか守ることができたけど……」
「ツォハル。ありがとう。でも、その、あの子は……」
 シヅルはうつむいた。
「ああ。まだ息はしていたけれど、そのうち止まるだろう。二人とも、心は乱れていないかい?」
 コンスタンティアも出てきて、あたしの肩をを持つようにする。
「ぼくは大丈夫だよ、ツォハル。びっくりはしたけど」
「あたしも平気。慣れてる、みたいなとこ、あるし」
 死体や、血を見ることに。あの子には申し訳ない、という気持ちしか湧かないけど、でも、それを伝える術はない。
 警官たちが音を車に乗せて去っていき、現場の片付けをはじめると、様子を見ていた人間は去っていく。テレビの関係者らしき人間だけが残った、が、一人だけ、ジッとこちらを睨む人物がいた。
「橘」
 低い、ハスキーな声。黒髪の、シヅルよりも背の高い。
「あ、アキラ。なんでここに……」
「呼ばれたんだよ。橘たちがいると聞いたからな。もしかしたら、と思って。灰淵家は橘家を監視してるって、言ったろ。ま、お前らのお狐さまの仕業じゃないようで、結構。その場合オレの出番はないってわけだ」
 シヅルが少し、強気に言う。
「監視って、買い物もですか?」
「ああ。アパートから出てくるところから連絡がきて、深泥池から出るようだから、オレも準備をしていた。灰淵は橘のやったことをもみ消すためにいるからな。アイも、シヅルも、もっと感謝してほしいもんだぜ、まったく。いつも敵意を向けられてるが、お前たちがこうやって、そんなもの買って暮らせるのは灰淵のおかげなんだからな」
 と、おもちゃ屋の袋を指すアキラ。そうやって煽るようにするから、あたしはアキラを好きになれないんだ。灰淵のことは知っていたとしても。
 ふうっと、息を吐くアキラ。
「帰りはオレんとこの車に乗ってけ。ちゃんと帰すから。二人でフラフラ帰られるより安心だ。それに、そうだな。橘の、アイのほう。近いうち、一度真剣に話をしよう。シヅルにもする、が、それは深泥池に慣れてからの方がいい」
 アキラの後ろには、黒いリムジンがある。灰淵のものだったのか。あたしたちは黙って、それに乗り込んだ。あたしとシヅルは隣に座る。
 アキラは向かい側に座った。リムジンと言えば豪華な装飾のイメージだけど、そんなものは一切ない。
「おい、出してくれ」
 アキラが運転手に言うと、リムジンは深泥池へと帰っていく。あたしたちは黙っていた。帰って、遊んでいいのかな。いいよね。だって、あれはただの事件で、ツォハルやコンスタンティアがやったことじゃない。遊んで忘れたい。アスファルトに滲んだ血で嫌でも思い出す。せっかくとった時間だもの。だれに許してもらえればいい?
 アキラは黙って、腕を組んで目をつむって休み出す。すぐにすやすやと、寝息が聞こえてきた。シヅルは大切そうに、誰に奪われることはずないのに、ぎゅっとゲーム機の箱たちを抱えていた。あたしは、血塗れの仮面ライダーを思い出していた。
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 シヅルは一口ハンバーグを食べて、ピタリと動きを止める。味が合わなかったかなと心配していると、ツォハルがからから笑った。
「ごめんよ、アイくん。シヅル、多分おいしくて感動してる」
「え、そうなの?」
 そう返すと、シヅルは黙って頷いた。単純な美味しさなら、昨日のお寿司のほうが美味しいと思うけれど、生魚が苦手だったりするのかな?
「あ、あの、ハンバーグ。昔、お母さんが作ってくれて。すごく美味しかったんだ。そのハンバーグを、自分で作ろうとしても何かが違ってたけど、アイさんの作ったものは、すごく……」
 どきり、とした。シヅルのお母さんは、あたしのお母さんのお姉さんだ。あたしは小さい頃に、お母さんの手伝いで何回もハンバーグを作って、そのまま今も作っている。お母さんたちは、多分きっと、おばあちゃんかおじいちゃんからハンバーグの作り方を教わったんだと。
「今度一緒に作る? いや、あたしがまた作ったほうがいいかな?」
「できたら、一緒に……」
「うん。じゃ、またハンバーグが食べたくなったらうちで作ろうか」
「ありがと、アイさん」
 ツォハルも料理を食べ始めて、コンスタンティアはにこにこと、うれしそうに肘をついて、口の中でいちごミルクの飴を転がしながら食卓を眺めている。
「アイくんは、とても美味しいものをつくるね!」
 と、ツォハル。ツォハル、という存在にもそう言われると、あたしったら世界一の料理人になれるかもなんて思ったりして。
「ツォハルも、また食べに来て」
「もちろん。何か必要なものがあれば、ぼくらで用意しよう。それがいい関係になると思う」
「それはありがたいな」
 それからしばらくは目の前の料理に集中して、もくもく食べ始めるあたしたち。一番食べ終わるのが遅かったのが意外にもツォハルで、ツォハルは一口一口をすごく噛み締めてものを食べる。シヅルは年頃の男の子だからか、昨日のお寿司の遠慮もないからか、一番最初に食べ終わった。
「ごちそうさま、アイさん。お皿は僕が洗うよ」
「いいよ。あたしがあとでやる。時間、もったいないもん」
「どういうこと?」
「遊びたいでしょ? 何して遊ぶっ?」
 そう言うと、シヅルは目をキラキラ輝かせた。
「う、うん。どうしよう、いざってなると、何がしたいかな」
 テレビに近づいてゲーム機を置いてある棚に向かった。後ろからシヅルがついてくる。
「ゲームやったことある?」
「えと、少しだけなら」
 ずらっと並ぶ、スーパーファミコンやプレイステーションのソフト。今じゃ古くって、あたしたちが生まれる前のものばかりだ。シヅルは棚を覗く。
「わあ、すごいね、たくさんある」
「好きなの選んでいいよ。それともさ……」
「それとも?」
「古いのばっかでしょ。新しいの買いに行くとか、どう?」
 シヅルはびくりと飛び上がった。それは恐怖からではなく、嬉しさだった。
「い、いいのかな」
「おじいちゃんにお小遣いほしいなって、シヅルがお願いすればくれるよ。それに、あたしだってね。後で、半分半分にしよ。お財布もってきてる?」
 シヅルはあわてて、自分の鞄を探った。紺色の、小さな肩掛け鞄。そこからまた、紺色の長財布が出てくる。黒や、紺色が好きなのかな。
「うん、あるよ。おじいちゃんが少しもたせてくれてた」
「じゃあ、市内まで出て、ゲーム屋さん行ってみようか。あたしもね、一人で遊ぶやつばっかだから、シヅルと遊ぶ時、二人で遊べるのが欲しかったの。それにゲーム機って重いでしょ。持ってくれる人がいたらなって」
 顔を輝かせるシヅル。あたしは想像する。きっと、周りの男の子は最新のゲーム機を買ってもらって、遊んでいたはずだ。男の子はゲームが好きだから。でも、シヅルは買ってもらえなかったろうし、勉強をさせられていたと聞いたもの。友達もでき辛かったろうし、遊べなかっただろう。ゲーム機や、カードゲームは、なんたってお金がかかるものだから。
 あたしだってそうだった。テレビのコマーシャルでやっていたおもちゃや、着せ替え人形。流行っていた漫画雑誌。買ってもらえなかった。いや、買ってというのを、一度だけ言って、断られたから諦めたんだ。なにもかもを。
「そうだよね、アイさんじゃ、あの大きな箱持って市内から帰るのはつらいよね。僕なら大丈夫だよ。だから、その、えっと……」
「行きたい?」
「すごく……」
 お互いに笑い合った。新鮮な気持ちだった。友達、よりも、もうもっと上の存在みたいだ。
「じゃあ、いますぐ行こう!」
 あたしは部屋から自分の鞄を引っ張り出して、財布と携帯と、ハンカチにティッシュにポーチとお出かけのセットを詰め込んで、シヅルのところに帰ってくる。シヅルは鞄をもう肩にかけていた。

 居間のテーブルには、コンスタンティアとツォハルが、にやつきをおさえられない、といった顔であたしたちを見ている。
「ち、ちょっと、ツォハル。なにその顔?」
 シヅルがそう言うと、ツォハルは喉でくくっと笑った。
「いや、なんとも微笑ましくってね。シヅルがこんなにも、生き生きしてるのを見るのははじめてだなって。ぼくとしては、こんなに嬉しいことはないよ。ぼくからも感謝しよう、アイくん。しかし、何かあったらいけないから、姿は隠しているからぼくもついていいかな?」
「心配しなくとも、市内なら電車で二十分ほどだけれど……」
 ツォハルは首を横に振るし、コンスタンティアは不安そうな顔をする。
「いいかい? この田舎では、とくに二人でいてもかまわないよ。でも、君たち二人の『死の匂い』は、本当に強烈なのさ。一番怖いことは悪魔どもに襲われること、二番目は匂いに煽られて周りで事故や事件が起き、それに巻き込まれること。ぼくがいるなら、多少なりそれを弱められる」
 その言葉に、コンスタンティアも同意した。
「そうね。二人の邪魔はしたくないけれど、でも、あなたたち二人を失う悲しみはとても強いものだから。私も、ツォハルの力になれるかはわからないけれど、アイちゃんと契約してることがわかったほうがいいと思うわ。こっそりしているけれど、ついて行かせてちょうだい」
 まるでお父さんとお母さんみたいだ。あたしの知らない、フィクションの中の両親みたいだ。お母さんは緑で血の角が生えてるし、お父さんは男か女かわかりゃしないけれど。
「邪魔、なんて、そんなことないよ。僕と、ツォハル、アイさん、コンスタンティアさんで友達だから。友達みんなで遊びにいくんだ」
「そうだね。四人で友達。それがいい」
 シヅルとあたしがそう答えると、二人の人ならざるものは顔を赤くしてかおを見合わせる。
 あたしはシヅルに手を差し出す。
「手、繋ごう。あたしは片手、コンスタンティアとつなぐから。シヅルはツォハルと」
 あたしは友達が、よくわからない。小さい頃はいた気がする。手を繋いで、帰る友達や大人がいなかったのは覚えている。
 シヅルの白くて、あたしよりはとても大きな手を握った。あたしは女にしてはずいぶん小柄だし、シヅルは平均より少し高いくらいだもの。
 片手を、コンスタンティアは赤い爪を食い込ませないよう優しく触れる。ツォハルはシヅルとぎゅっと手を握った。そして。
「ツォハル、ツォハルの片手があいてるよ」
 シヅルの言葉にまたツォハルははっと顔を赤くして、おそるおそる、コンスタンティアの手に触れた。ぐるりと、人間と悪魔と御使いが円になる。
「あたしたちは、小さな頃に子供をさせてもらえなかった、と、思う。シヅルはどう?」
 あたしの顔を見つめる、まっすぐ見つめるシヅル。顔つきが、おじいちゃんの家やコンビニの時とはずいぶん違っている。
「僕もそうだよ。両親や、いろんな大人にこれでもかってくらいいたぶられて、欲しいものをひとつだって買ってもらえないし、それでみんなから孤立してた。寂しかったし、痛くて、辛くて、何度も死にたいって思った。でも、ツォハルに助けられて、いま生きてる」
「あたしも、シヅルと同じ。コンスタンティアに助けられて、やっと自由に外を歩けるようになったの。だから感謝してるし、……コンスタンティアのことがすごく好き」
 コンスタンティアが悲鳴のような声を上げる。でもそれは嬉しい悲鳴だった。
「あ、あ、あ、アイちゃん。やだ、シヅルくんとツォハルがいるのに、そんな、だめよ」
「だから言ったんだよ。ばあか」
 くくっと笑うと、コンスタンティアの顔はトマトくらいには赤くって、足元をじっと見つめていた。馬の蹄のようになった、異形の足。
「いじわるね……!」
 それに対抗したのか、シヅルもツォハルに向かって、少し考えながら話し出す。
「えっと、えっとね、ツォハル。僕を助けてくれて、今まで支えてくれてありがとう。本当に、ありがとう。僕がこうやって、悲しい思い出ばかり抱えて死んでいかなかったのは、ツォハルのおかげだよ。だから、僕は、ツォハルのことが大好きだよ」
 ツォハルもまた、コンスタンティアのように、まっすぐなあたしとシヅルの感情に戸惑いと嬉しさを隠せないようだった。
「あ、ああ。シヅル。ありがとう。でも、恥ずかしいな。いや、二人きりの時の方がもっと恥ずかしかったかも。でも、うん、そう言ってくれて嬉しいし、ぼくだって同じ気持ちでいる。シヅルが幸せに、主のもとに行けるように。ずっと見つめていたい」
「ツォハルがそんなに慌てるの、はじめて見るよ」
「だって、本当に慌てているんだ! シヅルから、感謝の気持ちというのは伝わっていたけれど、だって、その、ぼくもシヅルのことが好きだから、そんな相手に好きだって言われたら、慌てるに決まっているだろう!」
 なんだか、人ならざるものたちのほうが人間みたいに思える。あたしたちはこれから子供をやりなおして、大人になっていかなきゃいけない。勉強ができても、たとえばお箸の持ち方なんて、自己流なんだもの。おじいちゃん、コンスタンティア、ツォハル、そしてシヅル。みんなで、家族で、ちょっと急ぎ足になるけれど、本当の年齢に追いつきたいから。
「コンスタンティア、顔、上げてよ」
「や、やだ、恥ずかしいわ」
「あたしがお願いしても駄目?」
 そう言うと、コンスタンティアは涙目で顔を上げる。そこまで嬉しかったんだ。悪いことをしたかもしれない。もっと早く理解して言えることができたら。あたしはまだ子供だから、愛してるまでは言えないけど。
「あたしたちは、友達で家族。困った時は、みんなで助け合おう。あたしたちは分かり合えるから」
「うん。僕らは友達で家族だ。仲良くしよう。たくさん、楽しいことがしたいな」
「ええ。私たちは友達で家族よ。みんなが幸せになれるように、私はつとめるわ」
「ああ。ぼくらは友達で家族。たとえ悪魔と御使い、人間でも、そんなのは関係ないさ。ぼくがみんなを守るよ。絶対に誰にもこの絆を傷つけさせやしないさ」
 四人で、お互いの顔を見て、それから同時に手を離す。
「じゃ、出かけよ!」
 あたしはお気に入りの赤いスニーカーに足を入れて、真っ先にアパートを飛び出す。晴れていた。晴れは嫌いだったけれど、いまはすごく好きな気持ちだ。少し寒いけれど、気持ちのいい秋風。
 思い切り空気を肺に詰め込んでみると、哀愁のこもる秋の空気が肺の中を支配した。茶色い葉が、アパートの玄関前に落ちていた。

 四人用の食卓テーブルは、おじいちゃんが買ってくれたものだった。一人用の、それも、普通の机で構わないと言ったのに、いつか友達が来て遊びにくるかもしれないから、それに机は広い方がいいと言って買ってくれたもの。すごく、いま、感謝している。
 あたしに、コンスタンティアで二人だったテーブルは、今日、シヅルとツォハルで埋まるんだ。ツォハルのことはわからないけれど、一応、ツォハルのぶんもハンバーグを作った。一度に三人分のご飯を作るなんて久しぶりで、どきどきして、手先が震えてしまった。けど、コンスタンティアが優しく手伝ってくれたので、なんとかお昼過ぎには三人分の料理ができあがった。
 三人分の料理。あたし、お母さん、お父さん。たまに、作らされたことがあったっけ。それで、思い出して包丁を持つ手が震えて、涙はたまねぎのせいだと嘘をついたけど、きっとコンスタンティアにはバレバレで、優しくそっと頭を撫でてくれる。
「アイちゃん。大丈夫よ。私がそばにいるわ」
 何度も、何度も、何度も。聞いた、おまじないみたいな言葉。これが例えば、いい呪いの言葉なら、アザミには、なんて言ったのだろう。なんて、少し考えながら。
 料理を並べるのをコンスタンティアが手伝っている間におじいちゃんの家に電話をして、おじいちゃんに、シヅルを家まで送ってあげてとお願いして、携帯を置く。携帯の待ち受けは、コンスタンティアと一緒に遊んで面白かったゲームのキャラクターにしていた。青い髪で、家族を奪われて、まわりの助けを借りながら大切なものを取り返すために戦う姿が、なんとなくあたしとかぶったから、気に入っていた。

 外から車の音がして、窓からのぞくとおじいちゃんと、シヅルが降りてくるのが見えた。そしてもう一分もしないうちにインターホンが鳴る。
「アイ、連れてきたぞ」
 おじいちゃんの声。あたしの心臓は鼓動を早めている。あたしは、家に友達を上げるなんてはじめてなんだもの。
「開けていいよ!」
 そう返して廊下まで出ると、シヅルがいた。
「帰りは大丈夫か?」
「道は覚えました」
「ま、最悪、アイに教えてもらいな」
「ありがとうございます……」
 そうしておじいちゃんのぶんの足音が消える。
「おじゃまします、アイさん」
 そうしてお辞儀して、靴紐を解く間、あたしはシヅルが変わっていることに気づいた。髪が、短い。昨日までセミロングくらいにはあったのに、今は普通の男の子みたいだった。特に髪の毛にワックスをつけたりはしていなくて、普通の、大人しくて、少しかわいらしい顔の優等生のように見える。
「髪、切っちゃったの?」
「あ、はい。学校もはじまりまりますし、それに、髪の毛は両親に言われて伸ばしてたものですから」
「ふうん。そうなんだ……、あ、シヅル、丁寧な言葉じゃなくていいよって」
「あ! ごめん、癖で」
「ううん。あたしそういうの、わかるからさ」
 両親に言われて、伸ばしていた? 男の子なのに。一体シヅルの家では何があったんだろう。それはあたしには、想像がつかなかった。セミロングくらいに伸ばしていたシヅルの髪は本当に綺麗だったけれど、今のシヅルは、髪を切ることで新しい人生を始めようとしているんだと思って、それになかなか似合っていたし、じっと見て。
「新しい髪型、似合ってるね」
「え、あ、そうかな。ありがとう。ずっと伸ばしてたから。僕はちょっと不自然な感じなんだけどおじいちゃんが切った方がいいっていうし僕も切りたかったから……」
 真っ先に両親から離れて、やりたかったことが、髪の毛を切ること、なんて。髪の毛を切るみたいに、苦しい思いばかりさせてくる両親のことを忘れるなんてできないだろうけど、でも、髪は伸びるし何度も切ればいいから。その度に、シヅルの嫌な記憶も切り落とせていければ、きっといいな。
 居間に通すと、わあっと声を上げるシヅル。ハンバーグのほかには、サラダとお味噌汁で、いつもよく作るものだった。
「アイさん、ありがとう。すごくおいしそう……」
「おいしいよ。手、洗って、食べようか」
「うん、そうしよう」
 洗面台まで二人で行って、鏡にうつるお互いの鏡を、一瞬比べた。特に顔が似ているわけではない。けど、同じ目をしていた。大人の目、この世の地獄を見てきた目をしていた。嫌でもわかる。アザミを見たときとは、また違うフィーリング。
 そして、そばに寄って、意識するとあたしでもわかる『死の匂い』がした。確かに、アキラやツォハルの言うように、たとえばなんの匂いだって言われればとにかくいい匂いだとしか言えないんだけれど、フェロモン、のようなものなのかな。手を洗っている間、シヅルは特に何も言わなかったけれど、きっとシヅルもあたしの死の匂いを感じ取っているのだろう。なんたって、あたしたちは死の匂いをばらまいているらしいんだもの。
 テーブルにつくと、コンスタンティアが、料理のない場所に座っていた。
「シヅルくん、こんにちは」
 そう、優しく笑いかけるのだけれど、もちろんそれはあたしに対する表情ではない。友達の子供に挨拶するような、そんな顔。
「コンスタンティアさん。こんにちは」
 頭を下げるシヅル。
「いいのよ、いいのよ。そんなことしなくって。アイちゃんの隣に、私はいるわね。お話するのも、向かい合ったほうがいいでしょう?」
 そう言われたシヅルは、はっと何かに気づいたような顔をした。あたしは、コンスタンティアの隣に座る。
「え、えっと、コンスタンティアさんはお昼は……」
「体を見てもらえればわかると思うけど、私、食べられないの。でも、大丈夫よ。アイちゃんが飴や、アイスクリームをくれるの。ね?」
 こちらに笑いかけるコンスタンティア。そう、昨日から、家にあったお皿にいちごミルクの飴をテーブルの上に少し置いてあった。
「じゃあ、あの、三人目って、ツォハルですか?」
「うん。わかんないけど、食べるかもしれないから。一応。でも、いらなくても、冷蔵庫に入れて明日また食べるから大丈夫」
 あたしがシヅルにそう返すと、シヅルの隣の席でキラキラと光の粒が集まる。この光は、コンスタンティアがででくるものとは違う。コンスタンティアのものは、ツォハルを見るまでは光だと思っていたけれど、なんだか白や、少し青みがあって氷のような『輝き』で。でも、ツォハルのものはただただ、神々しい『光』だった。
「や。アイさんに、えー、コンスタンティア。お食事に呼んでもらって嬉しいよ」
 光の粒が集まり、ゆるいウエーブのかかった金髪の美しい何か、としかやはり形容できない容姿。ツォハルが現れた。コンスタンティアはぴくりと少し怯えるけれど、ツォハルはコンスタンティアに両手を上げて、敵意がないことを示す。
「大丈夫、ぼくはきみを殺さない。シヅルに言われたからね。それにぼくの下にもきみのことを殺すのなら、ぼくが殺してしまうよと言っておいたよ。ぼくの下だけだから、他には直接言ってはないけれど、まあきっと、きみに手を出すとぼくが地獄まで探し出して殺すとまで言っておいたから、ね。なかなか、ぼくの性格では言わないことだから。噂になって広まってるみたいだから、ま……、大丈夫だと思う」
 コンスタンティアはとても、とても、驚いているようだった。
「ど、どうして私をそんなに、御使いのあなたが守ろうとするの?」
 ツォハルはシヅルの手に触れる。お互いの手は白くて、そして、とても異様に思えるほどにきれいだった。
「別にきみのためなんかじゃないさ。ぼくはきみのことはどうでもいいよ。それは、きみも同じだろう? シヅルのためだよ。アイさんからコンスタンティアを引き放せばとても悲しむから、アイさんはシヅルの友達で、友達を悲しませたくないからって、シヅルに言われたから。それにぼくはシヅルの友達だからなんて関係なしに、アイさんも守ってあげたいからね。きみが守りきれない部分もあると思うから。ぼくなら守れるよ。なんたってぼくは強いからね」
 コンスタンティアは気まずそうに、でも、ちゃんとツォハルのアイスブルーの透き通った目をみる。あたしと、ツォハルは料理を前にしていたけれど、二人の会話がどうしても気になって聞いていた。
「そ、その、ありがとう。ツォハル。こんなことがあるなんて、思わなかったわ」
「それはぼくも同じさ。まさか悪魔を殺すななんて、この口で言う時が来るなんて思いもしなかったよ。勘違いしないでほしいけど、ぼくが一番愛しているのはシヅルだよ。きみも、一番好きなのはアイさんだろう」
「ええ、そうね。シヅルくんも、素敵な子だって思うけれど、愛しているのはアイちゃんよ」
 そう言われると、なんだか照れてしまって、シヅルも同じらしくって、顔を赤くして顔を見合わせた。シヅルもそうだった。堂々と愛してるって、他の人がいるところで言われると、やっぱり恥ずかしいんだけれど、満たされた幸せを感じる。
「で、ぼくは人間にあまり詳しくないんだ。シヅルを通して、ぼくも学んでいる途中でね。でもきみは詳しそうだし、シヅルにいろいろ教えてやってほしい。ぼくも学びたい。だから、ぼくはきみたちを守るけれど、きみはぼくらにものを教えて欲しいんだ。それが助け合い、うまい関係を築けるかとぼくは思うんだ。やってくれるかい?」
「そうね、その、一緒に遊んだり、映画を見たり、そういうこと?」
「ああ、シヅルにそういうことをさせてあげて欲しいんだ」
「わかったわ。シヅルくんは、大丈夫?」
 急に話を振られたシヅルは、声をあげて飛び上がる。
「ごめんなさい! シヅルくん、いきなり、びっくりさせてしまったわね」
 この症状は、あたしもそうだった。声をかけられると怒鳴られるとか、殴られるとか、そう身構えてしまうから。それをコンスタンティアはあたしを通して知っているから、気遣うように謝ることができる。
「いえ、大丈夫です。その、僕も、遊びたくて……。それはすごく、嬉しいです。ツォハルも一緒に遊ぶよね?」
「もちろんさ。ぼくはシヅルと出会って変わったんだ。そして、アイさんやコンスタンティアと出会っても変わった。ぼくは御使いとしては失格かもしれない、けれど、ぼくは愛されているから、堕とされても主から消されることはないと思うよ。ぼくは強いし、有能だからね」
 得意げなツォハル。そっか、アイスを買った夜、シヅルはツォハルにいろんな提案をしてくれたんだ。
「シヅル、それにツォハル。ありがとう」
「う、ううん。アイさんに良くしてもらったから、えっと、いろいろ言うと照れちゃうから、その、えっと、どういたしまして……」
 そんなシヅルに、悪魔と御使いは柔らかい笑みを思わず浮かべたようだった。
「こんなに可愛らしい女の子に、綺麗な女性の二人さ。守るのは男の責務って、ものだとぼくは思うからね!」
 そのツォハルの言葉に、コンスタンティアは緑の肌をかあっと赤くする。そして、いつもの照れ隠しのくせで、赤い爪で机に円を書くようにする。
「わ、私、私って綺麗かしら……」
「ぼくは、そう思うけれど? きみは自分のことを、そう思っていなかったのかい?」
「そ、う、ね。今の私は、醜い化物だって、思って……」
「そんなことないさ。綺麗な顔立ちだし、その角だって、氷でかためた血なんだろう? 呪いなのはわかる、けれど、その呪いをうまくおしゃれに使うなんて、すごいな。それにスタイルだってとってもセクシーだし、声も透き通って、とってもいい声だと思う」
「み、御使いって、嘘はつくのかしら?」
「あはは。たまにね。でも、今はついてないよ。これも、嘘じゃないさ。……さ、ご馳走が冷めてしまうね。ぼくもいただくよ。なんたって、アイさんの手作りなんだから」
 まだ円を書くコンスタンティアを小突き、そして、四人で料理を前に手をあわせる。
「いただきます」
 何度目かな、幸せないただきますは。これからずっと、続けていきたい。そしてあたしがお茶の入ったガラスのコップをかかげると、今度はシヅルは戸惑わなかった。こつん、と、ガラスのぶつかる音が部屋に響いた。心地のいい、音だった。
 赤いガーディガンを羽織って、財布と電話を手に外に飛び出した、朝の九時。コンスタンティアは朝からご機嫌で、口の中で昨日のいちごミルクを転がしている。相当お気に召した様子で、昨日で半分ほども食べてしまっていた。買い出しにいくのだし、もう少し買ってあげよう。
 こういうことを、もう少し早く気付けたなら、もっとあたしは人間に近づけたかな。コンスタンティアとの関係は、最初は服従だった。いきなり現れて、あたしを家から連れ出したかと思うと、あたしの足にキスをした。それから、コンスタンティアは付いて回るようになったけど、ずっと隣にいるうちに、違った存在になってくる。どちらにせよ、この冷たい悪魔の隣でいるのは暖かくて過ごしやすい。
 いつもやってくるスーパーは少し遠いところにあって、いつも帰りにはバスに乗る。あたしの小さな体ではなかなか買い出しはつらいし、コンスタンティアに持ってもらえば周りの人は浮いているように見えてしまうのだから。
 少しひんやりとした店内でカートを持って、さて、とにかくシヅルのリクエストだったハンバーグの準備。明日の朝にパンも欲しいし、お米も買わなきゃ。お米を買うならタクシーを使おうか。
 がらがらとカートを押しながら、コンスタンティアは隣で嬉しそうだ。
「アイちゃん。また、違う味の飴があるかしら?」
「ここのほうが、多分たくさんあるぞ」
 コンスタンティアがそわそわするものだから、先にお菓子売り場に行こう。たくさんの飴が並ぶ。コンスタンティアお気に入りのいちごミルクもあるし、はちみつの飴、棒つきのキャンディ、フルーツソーダのもの、ハッカの飴。
「甘いのがいいなら、このはちみつか、棒つきのやつか」
「いちごミルクと、あと、新しいの……、はちみつって、あの、ホットケーキにかけるようなやつよね?」
「違うけど、まあ、味は似てるかな」
「ならそれがいいわ。昔、食べたことがあるのよ。ホットケーキ。懐かしいわ……」
 あの人と、食べたのかな。朝ごはんに、あたしもホットケーキを焼いてあげてもいいかもしれない。昔の楽しかったことを思い出して幸せになれる、それで今の苦しいことから逃げられるのなら。それに、ホットケーキミックスを買えばスコーンだって焼けるし、シヅルが来たとき、おやつに紅茶か、コーヒーかと一緒に出してもいいかな。
 飴をふた袋、コンスタンティアが選んだものをカートに入れると、ある人物と目があった。スタジャンに、ジーンズ。黒い髪。見た目だけじゃ到底女だとは思えない女。
「お、橘」
 アキラ。買い物カゴに大量の甘いもの……、チョコレートやクッキーのファミリーパックに、カップ麺と、エナジードリンクが大量に見える。
 用はない。あたしから、アキラには。ただ、アキラも一人の人間だということを、買い物カゴから思い知らされた。剣道部の主将をやっており、大会で優秀な成績を残しているので校内の人間なら知らないものはいない、みんながうらやみ、女子生徒は黄色い声援を送る。男よりも強く男らしく、それでいて女なので近づきやすい。
 もう部活は引退して、勉強に集中するのだろう。悪魔の子と言えども、試験を受け、大学に行く。悪魔の子だとしても、人間だからだ。
 あたしが黙っていると、アキラは近付いてくる。あたしが睨みつけてみても、全く引こうとはしない。
「……何の用?」
「ん、いや、まだお嬢さんがいるなと思ってな」
 コンスタンティアのことか。……ツォハルは、あたしに言った。あたしはもっと強い悪魔を従えることだってできるのに、どうしてコンスタンティアのような弱い悪魔を連れているのかと。
 アキラは灰淵の人間だから、シヅルやツォハルのことも知っているのだろう。
「誰がなんと言おうと、あたしは弱いとか強いとか、そんなのでコンスタンティアと別れたりしない」
「違うさ。死んで、ないな、と、思ってな」
 死……? 息を飲む。スーパーに流れる軽快な独特のバックミュージックが鼓動を早める。コンスタンティアはびくつき、アキラから離れるようにした。
「あなたは一体何を知っているの?」
 コンスタンティアはアキラに問う。アキラはくくっと喉で笑った。
「コンスタンティア、おまえは、橘と見合ってないんだ。実力に。橘はもっと強くて安定した悪魔をつけるべきだし、コンスタンティアはもっと弱い人間に憑くべきだ。橘シヅルとツォハルは、バランスが取れている……」
 答えになっていない。コンスタンティアはなぜ死ななければならないのか、問い詰めようかと口を開くと、アキラは腕を突き出してあたしを止める。続けるようだ。
「橘に憑きたい悪魔なんて、いくらでもいるのさ。それこそ、魔王と呼ばれるような悪魔だって、橘ならうまく服従させることができるだろうし。この、深泥池にシヅルとツォハルが来ると聞いて、ツォハルはきっとコンスタンティアを消してしまうと思った、が、あれも何を考えているやら、人間ごときにはわかりゃしないね」
 コンスタンティアの、唾を飲むような音。
「オレたちの考えが及ばない『もの』なのさ、ツォハルは。そして、ツォハルはシヅルを気に入っている。橘、おまえも、ツォハルのような、いや、ツォハルより強力な力を得ることだってできるかもしれないのに」
「ツォハルは何?」
 そう、アキラに食ってかかるようにする。あの、金髪をふわふわとさせた、神々しいとも言える、男なのか女なのかわからない、何か。アキラはにいーっといやらしく笑うし、コンスタンティアは怯える。
「御使いよ。悪魔を消すためにいるの。でも、私なんて弱い悪魔、放っておいてもいいと思われたんだわ、きっと。わざわざ、ツォハルのような御使いがやることじゃないのよ」
「ツォハルは、そんなに、地位が高いのか……」
 御使い。悪魔と対になるもの。光と闇と。そんな恐ろしい相手に、殺されてしまうかもしれない相手に、昨日のように強くものを言えるなんて、やっぱり、コンスタンティアは強い。たとえ悪魔の中で弱かろうが、この世界ではとても強い、女。
「コンスタンティアが悪魔に殺されてないってのも、不思議に思うくらいでね。ふつう、こんな人間、他の悪魔が横取りするはずさ」
「……きっと、王様が、うまく取り計らってくださってるんだわ。特別にしてもらったことがあるから。王様のいうことは絶対なの。王様のおかげで、私たちは存在することができるのだから」
 それに対しては知らなかったのか、興味深そうに話を聞くアキラ。あたしも、シヅルも、死の匂いをまとわせている。おじいちゃんも、白狐さま、と、その人ではないものの存在を話した。言葉は、濁していたけど。
「ま、ツォハルが近くにいるんだ。御使いにも、おまえのことが分かるだろ。戦キチの雑魚が、お嬢さんに絡んでくるかも、しれんな」
「……」
 コンスタンティアはうつむく。
「ああ、それにしたって、いい死の匂いだな。橘に会うとクラクラっときそうになる。じゃ、匂いにやられないうちに、オレは行くよ……」
 そう言って、うつむいてるコンスタンティアにばれないように、またあたしに笑顔を見せるアキラ。あれは作り物とか、愛想笑いではなく、本当の……。
 うつむいているコンスタンティアの顔をのぞくと、はっと飛びのいた。
「ごめんなさいね、アイちゃん。私、色々考えちゃって。御使いに会ったらどうしようかと思って。ツォハルに強く言った時は、私きっと死ぬんだわと思って、投げやりだった。契約を破棄しろって、アイちゃんも、私も、生きていける選択肢だったんだわって、今気付いたのよ。別に契約しなくたって、外で一緒に歩けないけれど、アイちゃんのおうちでは、姿を隠す術を使う必要もないし、アイちゃんは強い悪魔や、御使いと契約できるわ」
 どきり。とした。二人とも生きていく選択肢、なんて、考えやしなかった。あたしたち二人ならなんでもできるって、シヅルとツォハル、それからアキラに会うまで思ってた。コンスタンティアは悪魔だから、人間より強い。あたしは悪魔に選ばれた特別な存在だから、なんでもできるって、そう思ってた。
 二人で跳ねまわったアスファルトの足の感触を思い出す。硬くて、夜だったから冷たくて、遠くまで足音が響いていく。月は大きくて丸くて、街路灯の光を浴びてコンスタンティアはきらきら輝いていた。
 コンスタンティアの、そばに立つ。まわりには買い物の家族連れたち。
「すこし、しゃがんで。コンスタンティア」
 あたしの小さな体では、コンスタンティアに届かない。スーパーのつるつるした床に座り込んだコンスタンティアは、不安そうにあたしの顔を見上げた。
「契約を破棄するのね。それが、いいと思うわ。そしたら、私はアイちゃんのおうちに戻っているわね」
 氷の涙が流れるのが見える。コンスタンティアの気持ちだって、わかってるつもり。緑の髪をなでて、なみだを人差し指でぬぐうと、雪を触っているみたいに冷たかった。
「しないよ。絶対。あたしには、おまえが必要だ。そばにいてくれ。あたしのそばに、ずっといてくれ。おまえ以外にいないんだ」
 本心だった。心が移り変わっていく。最初は、邪魔なら破棄しようと思っていたのに。毎日そばで暮らすと、どんどんこの緑の女を、名前で呼んでみたくなったり、触ってみたくなったりする。
「アイちゃん……」
「あたしが、死ぬまでそばにいてくれ」
「わかったわ。私も、私が死ぬまでそばにいてね。アイちゃん、大好きよ。愛してる。私ってとっても幸せな悪魔だわ……」
 なんて表現すればいいのかわからない、胸の中でたくさんの感情が暴れているようなものが、だんだん落ち着いていくようだった。
「あたしは、まだ子供かな?」
 コンスタンティアに問うと、まだ少し涙を流しながら言う。
「ふふ、そうね。子供ね」
「ならやめておく。でも、気持ちはおまえに伝わっただろ?」
「ええ……、もう、これ以上ないくらいよ。ありがとう、大好きよ……」
 スーパーのバックミュージックに掻き消される、小さな、二人だけの会話。カートに乗せたカゴには、コンスタンティアの選んだ飴だけが入っている。あたしは子供だけど、少し、大人に近づいた。そんな気がした。
 また、少し後ろを歩くシヅル。コンスタンティアは、あたしの隣で手を組んだ。背中をシヅルに、ツォハルに見せて、まるで挑発しているみたいだった。それでもツォハルは、そもそもそこにいないのか、何の反応も示さないし、気配ですら感じられない。
 古い街路灯はちかちかと、あたしたちの足元を照らしている。
 そのうち、そう、五分ほど歩いたところにコンビニがあった。この辺りではそこそこの大きな通りで、深泥池周辺に住む人間はこのコンビニを頼りに生きていると言ってもいいくらいなので、田舎にあるわりには繁盛している。
 小さな駐車場には、いくつか車が止まっていた。軽トラック。それを流して見ていく、なにもかも珍しいみたいに、シヅルは辺りを見回しながら。
「東京育ちには、ちょっと寂しすぎるところかもね」
 と、声をかけた。東京、あたしは行ったことがない。クラスメイトたちはこぞって行きたがるまち。シヅルは、苦笑いする。
「うるさい、ところですよ。少なくとも僕は、こちらのほうが落ち着きます」
「ふうん。そっか。で、さ。あたしのこと、同い年なんだし、そんなかしこまった話し方しなくていいよ」
 この、話し方もシヅルの辛い人生で負った傷であることに違いなかったから。これから、この地で、あたしはコンスタンティアといっしょに子供になっていく。シヅルにはツォハルがいるし、ツォハルといっしょに子供になっていけばいい。シヅルは、はっとして、あたしの顔をじっと、見つめた。
「そ、そっか。そうです、よ。ね。慣れないかもしれないけど、でも、僕もそうなりたいから、頑張ってみるよ……」
「うん。いい調子。ね、アイス食べたことある?」
 店の自動ドアを開けてすぐ左側に、アイスクリームの冷蔵庫に手を貼り付ける。
「昔、何度か食べたことがあったかも。おじいちゃんがくれたんだったかな?」
「そっか、そうだよね」
 色とりどりのパッケージ。アイスクリームを、ほとんど食べられなかったあたしたち。いろんな味、いろんな種類がある。あたしたちの人生は、同じだった。
 コンスタンティアもあたしの隣で、笑顔を浮かべている。
「ねえ、アイちゃん。私も何か欲しいな」
 と、言ったって、コンスタンティアはものは食べられない。食べたものは腹に開いた大きな穴に落ちてきてしまう。何がいいだろう。
「シヅル、ゆっくり選んでていいよ。ツォハルは何か言ってた?」
 あたしの言葉に、冷蔵庫にはりついていたシヅルは飛び上がった。
「ああ! ごめん。びっくりするよね」
「ううん、大丈夫。ツォハルは、なにもいらないと思うよ。あんまり、こう、人間のものに興味がないみたい」
「そうなんだ。じゃ、あたし、ちょっと他見てるから」
 頷くシヅル。ツォハルは、コンスタンティアより、やっぱり違う。コンスタンティアは絵や小説や食べ物や音楽に興味津々だし、大好きだけれど、ツォハルはそうでもないんだ。ツォハル、って、自分のことを概念だと言ったけれど、そもそも概念ってなんなんだろう……。
 考えながら、店内をコンスタンティアと一緒にうろつく。
「どんなのがいいんだ?」
 怪しまれないように、小声で、しゃがんでお菓子が並ぶ棚を見ていたそっとコンスタンティアの耳にささやく。
「あ、やめて、アイちゃん。こんな所で」
「こんな所で、って……」
「ああっ、ごめんなさいね。ふふ……」
 なんとなく、コンスタンティアの頬が赤くなっているように感じられた。
「そうね。甘いものがいいんだけれど……」
 思い出のクッキー、甘いチョコレート。パッケージを見て悲しそうにする。
「こういうものは、だめよ。食べてみたいけれど、お腹をシャワーするとき悲しくなるから」
「じゃ、飴とか?」
「甘いものはあるかしら?」
「たくさんあるよ、フルーツのやつとか、これはいちごミルクで、ソーダとかコーラのやつもある」
 コンスタンティアはチョコレートから飴のほうに目を向けた。飴なら、腹に落ちてきたとしてもチョコレートやクッキーよりは汚らしくないだろう。
「口の中で溶けるから、コンスタンティア、おまえでも食べられると思う」
「本当! 嬉しいわ、ありがとう、アイちゃん。じゃあね、私、このピンクのが可愛らしくて気に入ったわ」
 そうして指差したのは、さっきあたしが言ったいちごミルク。これならきっとコンスタンティアも気にいるだろう。それを手に取り、シヅルのほうに戻っていく。
「どう、シヅル。決まった?」
 今度はそっと、横から話しかけた。シヅルはさっきとは違って、あたしを見て微笑む。
「うん、その、バニラのやつにしようかと思って。おじいちゃんが買ってくれたやつが、まだ売ってるんだね」
 十年前。大きめの、バニラのカップアイス。長年人に愛されているから、まだ売られているもの。なんだか、皮肉な気がする。あたしたちは、十年だって愛されなかったのに。あたしが一人で食べるのには少し大きいけれど、コンスタンティアは食べられるだろうか。
「じゃあ、あたしも、それにする。とってくれない?」
 そうすると、たどたどしい手つきで冷蔵庫を開けて、アイスを二つ手に取ったシヅル。レジまで持って行って、店員さんにアイスと、いちごミルクを差し出す。
 田舎なものだし、あたしもよくこのコンビニに来るので、店員さんともちょっとした知り合いだった。あたしは友達が、この世にはいないし、来たとしてもおじいちゃんと一緒だから。
「アイちゃん、友達? もしかして、彼氏? 見ない顔だね」
 若い、ちょっと芋っぽい女の店員。名札がついているけど、あたしは名前を覚えていない。覚えなくていいと思っているから。
「いとこ。引っ越してきたから。案内してる」
「ふうん、そう……」
 口を動かしながら、レジを通してシヅルがお金を払い、アイスと飴の入った袋を受け取った。なんだかさっきの店員のせいで気分が悪くなったので、そそくさと店を出る。冷たい、気持ちのいい風。

「アイさん……」
 あたしを追いかけてきたシヅル。申し訳ない、というような顔。
「違うよ。シヅル。シヅルは何も悪くないよ」
「その、でも、……」
「あの人が悪いの。店員と客の関係で友達とか彼氏とか、聞いてくるのってうっとうしい。気持ち悪いね。こちらこそ、ごめんね。いきなりさっさと出たりして」
「ううん。それは、大丈夫。びっくりは、したけど。あの、その、僕ら、友達になれるよね……?」
 ああ、そうだ、そうだった。シヅルが気にしていたのはそこだったんだ。あたしったら、ほんとダメだ。俯くシヅルに、笑顔をつくる。
「当たり前だよ。さっきのは、あの人が嫌いだから嘘ついたの。なれるじゃなくて、今日から友達。困ったことがあったら、言ってよ。あたしにできることがあったら、助けるし。それに、シヅルにはツォハルもついてる。不安だろうけど、うまくやれるよ」
 あたしらしくない言葉が、自然にどんどんでてくるのは、シヅルとあたしが同じだからだろう。同じ種類の人間だから、わかりあえるから。
「アイさん、ありがとう……」
「呼び捨てでいいよ。友達でしょ」
「え、でも、なんだか、恥ずかしいよ……」
 コンビニの袋をぶらつかせながら。コンスタンティアはあたしたちの会話を嬉しそうに隣で聞いていた。あたしがちいさな子供から人間をやり直すのに、必要だったこと。友達をつくること。コンスタンティアは母親みたいに、あたしの横にそっとついて、あたしとシヅルの声に耳を傾ける。
「そう? あたしは呼び捨てだったけど。まあ、無理に呼び捨てしろとは言わないから」
「う、ん。わかったよ。その、僕らまだ出会ったばかりみたいなものだから。僕が慣れたら、そうやって呼べると思う」
「そっか。じゃあ、その日を楽しみにしてる。明日は暇?」
「ええっと、荷物の整理をしなくちゃいけないんだ。でも、あまり僕の荷物ってないし、ほとんどおじいちゃんがこっちに来る前にやってくれたんだよ。だから、お昼からなら暇だと思うよ」
 ちょうど、明日は土曜日だった。いつもはコンスタンティアと二人で過ごす休みの日。
「じゃあ、あたしのうちでお昼食べない? あたし、一人長いから料理得意だよ」
「え、いいの?」
 ああ、まるで友達、古い友達みたい。気持ちが落ち着く。シヅルもそう感じているのか、最初におじいちゃんの家で話した時よりだいぶ声も大きく、はっきりしゃべるようになってきた。硬く閉じた蛹を、ゆっくりゆっくり開いていくような。
「よくなかったら、言わないから。リクエストきくよ。何食べたい?」
「うん、そっか。そうだよね。えっと、じゃあ、僕、ハンバーグが食べたいな」
 照れているのか、シヅルの視線はまた足元だけど、それは嫌な雰囲気を感じさせない。柔らかそうな黒髪が、歩くたびにゆらゆら揺れる。
「得意だよ。ハンバーグ。作るね。楽しみにしてて。お昼になって、ご飯できたらおじいちゃんの家に、電話かけるから」
「わかったよ。ありがとう、アイさん……」
 踏みしめるアスファルト、二人分の足音が響く。必死に街路灯に食らいついている蛾のことを笑ったことがあるけど、いまのあたしたちって、それと同じみたいだ。
 それでもいい、なんでもいい。今度こそ友人を救いたいから。胸の中にはまだ、アザミがいる。アザミにしてあげられなかったこと、してあげたかったことをシヅルに。
 あたしの罪であるあの美しい少女は、いつまでだって、あたしの中から消えないだろう。胸に刺さって、抜けないんだ。
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